2016年1月22日金曜日

「原子の公理化: 日米関係の裏の意味」

*この記事は日本語の要約、英語の順番で掲載しています。要約文は厳密な訳ではなく、別の人間が書いたものであり、詳細なデータ等は省略されているため、ぜひ原文の方もお読みください。

【日本語要約】
  近年、アメリカのオバマ政権はアジア地域の政治・経済への積極的な関与を続けてきており、日本でも「積極的平和主義」をキーワードとした安全保障法制が2015年9月に制定されました。これらはいずれも日米の軍事同盟と密接な関係を持っています。このような状況を考慮したとき、日米同盟とそこにおいて鍵となる役割を果たす核兵器と原子力について考えることは今日の日本とそこで暮らす人びとが置かれている状況をよりよく理解するためにとても大切なことです。この記事は、日米同盟がどのような経緯で形成されてきたか、そしてその過程で核と原子力がどのように扱われ、どのような役割を果たしてきたかを論じます。そして、その中で生じている日本の問題、それを踏まえた今後の日本の外交・政治についての一つの考え方を示していきたいと思います。



<原子力の時代の到来>
  原子力爆弾は第二次世界大戦中に発明され、1945年8月に広島と長崎で初めて実戦の中で使われました。そして続く米ソ冷戦の中で核兵器の開発と整備を伴う軍拡競争が行われました。このような状況の中ではありましたが、原子力は世界のエネルギー問題を解決しうる安くてしかも無限の電力源として商業化され、後に見るように唯一の被爆国である日本は皮肉にも原子力エネルギーを支持する道を選びました。
  核軍拡がなされている一方で、1953年にアメリカのアイゼンハワー大統領(当時)が国連で国際原子力機関(IAEA)の設立を提案し、IAEAは1957年に設立されました。これは、原子力をアメリカ主導の国際機関によって管理しようという試みでした。核兵器と原子力は併せて、エネルギー資源を巡る不安定を解決するもの、そして平和をもたらすものとされていました。



<日米同盟の形成と日本の原子力/核政策>

  •日米同盟の形成
    戦後の日本は連合軍により占領され、日本国憲法の制定を含む様々な改革がその間行われました。そして占領の終了と日本の主権の回復を約束するサンフランシスコ平和条約が結ばれるのと同時に、日米安全保障条約が1951年に結ばれました。この安全保障条約は冷戦という当時の状況の中、アメリカを主導する「西側」と対立している「東側」(共産主義)のアジアにおける拡大を防ぐための戦略でした。
    1960年には国内で大規模な反対運動(安保闘争)が起こっている中でこの条約は改訂され、日本領土内で他国からの攻撃があった場合、日米の双方が対応することとなり、アメリカが当時まだ日本に返還されていなかった沖縄に軍事基地を置き続けることが正当化されました。


  •日本の非核三原則
    同時期、日本は原子力基本法を制定し、1957年にIAEAに加盟しました。他方で、1954年の第五福竜丸事件(アメリカが行った水素爆弾の実験によって日本の漁船の乗組員が被曝[ひばく]した事件)などを背景に日本では核兵器への反対運動が起こっていました。
    核に対する反感が強まる中で、当時の佐藤栄作首相は非核三原則(核を持たず、作らず、持ち込ませず)を打ち出し、また核不拡散条約にも調印しました。しかしながら、実際には佐藤首相とアメリカのニクソン大統領の間で密約が交わされ、3つ目の原則は最初から骨抜きにされていました。アメリカによる日本での核の常態的な運用がなされており、それは沖縄の返還のための条件の一つともされていました。もっとも、その返還されたはずの沖縄には依然として多くの米軍基地が今も残っています。


  •日本の「非核」政策
    非核三原則や核不拡散条約と他方での密約によって、日本は「非核」国としてのアイデンティティを保ちながら、核による抑止力の「恩恵」を同時に受けることが可能になりました。したがって、日本の「非核」政策は次のようにまとめることができるでしょう。


    1.核への平和利用の推進(IAEAへの加盟)
    2.核軍縮への貢献(核不拡散条約への調印)
    3.アメリカの核抑止力への依存(佐藤―ニクソン間の密約)
    4.非核三原則の支持


    日本は一方で非核三原則を維持しながら核軍縮を推進する平和主義国家としての顔を維持しながら、アメリカの核兵器に依存する形で核兵器を利用しており、「核の平和利用」の名のもとに原子力技術の拡散に加担するという矛盾した政策を進めてきました。2015年に制定された安全保障法制が実質的には日米の軍事協力を強化することを可能にするものであることを踏まえれば、日米同盟の背景にあるこのような前提について理解しておくことは非常に重要なこととなります。


<核/原子力と付き合うことのリスクと外部性>

  •核技術の拡散と核兵器への転用
    まず、原子力発電に必要な技術は核兵器製造のための技術と基本的には同じであり、核兵器を製造するための技術が原子力発電の技術として拡散する可能性があります。しかも、原子力発電所があるということはその燃料の盗難や事故の可能性があるということです。


  •原子力の事故がもたらすもの
    原子力発電を進める上でのコストの計算には事故が起きた際の保険にかかる費用は含まれていないことが多く、福島での事故が示すようにそのツケは市民に回されることになります。さらに、事故は自己決定権、健康的で文化的な生活を送る権利、言論の自由、そして所有権など憲法で保障されているはずの権利を避難民から奪うことになります。このように原発がもたらす多様な影響は日本の自由民主主義と相反するものであると考えられます。


  •ウルリッヒ・ベックによるリスク論
    故ウルリッヒ・ベックは原発の事故がもたらす影響は金融危機などと同様に世代や国境を容易に超えるものだと指摘しています。さらに、彼の議論によれば、人びとがリスクに対応できるかどうかは、その知識をどの程度持っているかによって左右され、そのような知識へのアクセスが保障されていることが重要になります。



<主権の制限>
  民主主義体制においては、権力は人びと(主権者)によって選ばれた政府に託されるものであり、政府は主権者の利益にかなう政策をすることとされています。しかしながら、安全保障法制の制定過程にも見られるように、現在の日本政府は過半数の人びとが(理由は様々であれ)反対するにもかかわらず法案を強行採決・可決させました。安全保障法制を巡る議論で焦点となった集団的自衛権の行使がアメリカの軍事専門家から要請されていたものであったことからも、日本政府は主権者ではなく、日米同盟あるいは日米関係により大きな注意を払っていると言えるでしょう。日本はアジア地域の安全保障において日米同盟、特にアメリカの核抑止力に頼り、その「核の傘」の下で「平和主義」を掲げてきました。そしてその代償として多大ないわゆる「おもいやり予算」をアメリカ政府に対して払い、主権者の意思を無視した政治を行ってきました。安倍首相はアメリカと対等な関係を結んで「日本を取りもどす」と話していましたが、アメリカの核抑止力に頼った構造を変えようとしているようには見えません。日本が自律的で独立した民主主義の国となるためには、このような核による安全保障の構造を抜本的に見なおすことが不可欠です。
  同様なことはアジア地域における経済や外交の面でも指摘できます。日本は中国主導のアジアインフラ開発銀行(AIIB)に米国と共に不参加を表明している一方で米国主導の環太平洋パートナシップ協定(TPP)に参加する意向を示しています。また、先日の日韓政府による慰安婦問題に関する合意にもアメリカが関わっていると言われています。このような状況で日本は独立した国家として外交に臨んでいると考えることは困難でしょう。



<新しい外交へ向けて>
  それでは、日本はどのような外交政策を取るべきなのでしょう。一つの選択肢は、韓国とともに米国との安全保障上の関係を見なおし、中立な国家として、つまりアメリカ主導のゼロサムゲーム(他方が利益を得れば他方が損をするという対立型の安全保障観)から脱退し、中立な立場から対話と信頼醸成を基礎とした外交を行うことでしょう。このような外交戦略は、アメリカとともに別の国からの報復の対象となるリスクを下げ、不信からくる安全保障のジレンマを避けることができるという点でメリットがあります。



<戦争の放棄への障害>
  2015年8月14日に発表された談話の中で、安倍首相は第二次世界大戦中のアジアにおける被害について、また核廃絶への努力について言及しました。しかしながら現実に行っている政策が談話で述べられていることに一致しているとは思えません。近隣国との関係改善を本気で考えているのならいわゆる従軍慰安婦だけでなく、虐殺や植民地支配の歴史についても真摯に向き合い、靖国神社への参拝をやめ、領土問題の現実的な解決に向けて努力するべきでしょう。中国や北朝鮮をただ脅威として見るのを止め、友好的な関係を構築していく方法を探すべきでしょう。さらに、核の廃絶を目指すのならば原子力発電への依存も、アメリカの核武装した船舶の受け入れも、核技術の輸出もやめるべきでしょう。



<結論>
  日本のエネルギー政策の中から原子力発電を除去するためには、多くの人びとが脱原発を支持し、それを表明することが必要になるでしょう。しかし、このような努力は日本の安全保障に原子力/核が埋め込まれている現状を変えるには不十分です。
  日本のエネルギー政策そして安全保障に見られるような原子力技術への依存は、原子力技術のリスクや多様な影響を度外視し、その状況を維持する力となっていました。これに加え、日本政府は原子力と密接に結び付いた安全保障に頼り、近隣諸国との距離を縮めようとしていません。このような、国民の安全と権利を二の次にし、独立した外交をすることが困難な状況は、アメリカが主導するパワー・ポリティクスに追随してきたことの帰結であるといえるでしょう。



勇樹

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